「盆栽(ボンサイ)」
それは「ナンシー」と異なり当管理人の造語ではない。
ネット上の巨大掲示板「2ちゃんねる」から発生した用語だと言われている。
当サイトでの解釈は、一部2ちゃんねると異なる部分もある。
あらかじめご了承頂きたい。
「盆栽先生」と呼ばれる人々がいる。
さて、あなたは「盆栽」という言葉にどんなイメージを持つだろうか。
平屋の日本家屋の庭の片隅に置かれた木製の棚。
そこに整然と並べられた陶製の鉢。
そしてそこに植えられた小ぶりな松やツツジ。
和服の壮年男性が植木鋏を片手に時折その枝振りを直しながら満足気に笑みを浮かべる様が瞬時に脳裏に浮かんだあなた。
その認識はまったくをもって正しい。
そう、「盆栽先生」とは、
自らのバイクを松やツツジのように愛で、自慢する人々の事なのである。
高価なバイクを市販パーツで飾り立て、日長一日磨いて過ごす。
そして機会ある毎に、いかに自分がこのバイクに金と時間をかけたかを滔々と語る。
これが「盆栽先生」の典型的な例である。
……
恐るべし、盆栽先生
……
では盆栽先生とは、単に高価なバイクを自慢する人々の事なのだろうか?
否
盆栽先生の特徴の一つは、その対象がなんであれ、己が自慢したい事をたっぷり小一時間は語る事ができるという点である。
例えそれがフルノーマルのバイクについてであっても、盆栽先生は開発史から時代背景、発売当時の雑誌での評価に至るまでたっぷりと語ることだろう。
例えそれがただ一つのパーツについてであっても、材質や機能、価格設定についてこれまたたっぷりと語るに違いない。
これはなにもハードウェアに限った話ではない。
峠でのライディングのノウハウ
マスツーリング時の注意点
季節毎のウェアの選び方
盆栽先生の語りは、ソフトウエアについてでもまったく同様に機能するのだ。
……
恐るべし、盆栽先生
……
「自分のバイクや知識を自慢するというのは、ライダーにはごくありがちな事例ではないのだろうか?」
そんな疑問を持たれた方も多いだろう。
単なるバイク自慢と盆栽先生が異なる点、その一つは
「バイクや知識そのものを語る」のか
「そのバイク・パーツを選んだ(もしくはそれについてこんなに詳しい)自分がいかに偉いのかを語る」のか
の違いだといえる。
いかに自分が拘りと知識を持っているのか。
そんな自分がいかに素晴らしいのか。
そう、盆栽先生が盆栽先生たりえるのは、
「バイクを通して自分を語り、相手に自分を褒めてもらいたい」
という点に集約されるのである。
……
恐るべし、盆栽先生
……
「自分を褒めてもらいたい」
それは人間のごく自然な感情でもある。
では、何故盆栽先生はこんなにも煙たがれるのだろうか?
それは、盆栽先生には実践が伴わないからである。
磨き上げられたレプリカ車にフルオーダーの革ツナギ姿で峠に現れ、若年ライダーを相手にケビン・シュワンツとウィン・レイニーのライディングの違いについて語る盆栽先生。
しかし、そのバイクのタイヤサイドには大量のヒゲが残っている。
ワンオフパーツ満載のネイキッドで高速道路のパーキングに現れ、オリジナルFCRのレスポンスがいかに素晴らしいかを語る盆栽先生。
しかし、一緒に走ろうと誘うと「まだセッティングが出ていないので」と断ってくる。
豪華装備のフルカウルツアラーに跨り、長距離ツーリングのノウハウとコース設定の妙について語る盆栽先生。
しかし、「どこまで行った事あるんですか?」と聞くと、「いや、俺は腰を痛めているので」と言葉を濁す。
……
恐るべし、盆栽先生
……
バイクの楽しみ方はライダーの数だけあると言って良いだろう。
レプリカ車でゆっくりと走る事は何も恥ずべきことではない。
きらびやかなパーツがその性能を発揮しきれないからといって悔やむ事は無い。
走らず、バイクを飾っておく事が楽しみであっても間違いとはいえないだろう。
しかし、盆栽先生はこう言うのだ。
「レプリカ車は速く走らなければならない。そうでなければ持っている意味が無い」
しかし、こうとも言うのだ
「俺は○○なので無理はしないが」
「もう歳」
「体力がない」
「家族持ち」
「今日は日が悪い」
○○には、その時々によりそんな言葉が挿入されるのだ。
盆栽先生は決して自ら「できない」とは言わない。
「やらない」だけなのだ……と。
……
恐るべし、盆栽先生
……
盆栽先生は語る事に喜びを感じる。
同じ趣味を持つ相手に褒めてもらう事に喜びを感じる。
従って盆栽先生は、事ある毎にバイク乗りの集まるポイントへと出かけるのだ。
そして獲物を見つけるやいなや、容赦なく牙をむき、満足するまでひたすらに語り続けるのだ。
スケジュールの押しているツーリングでは、「はぐれナンシー」に十分な注意が必要である。
しかし、それ以上に注意すべきなのは、親父ライダーを装い、にこやかに近づいてくる盆栽先生の方かもしれないのだ。
……
恐るべし、盆栽先生
……
そんな盆栽先生も、決して自らが盆栽であるとは感じていない。
高速道路のサービスエリア。
2輪車駐車場に置かれた己のバイクのオーリンズを指差しながら1Gと1G'の違いについて散々語ったあげく
「最近は口ばっかりの盆栽が多くて……」
などと愚痴をこぼす盆栽先生が数多く見受けられるのだという。
……
恐るべし、盆栽先生
侮りがたし、盆栽先生
……
・
・
・
さて、ここまで読んでこられたあなた。
あなたは大丈夫だろうか。
あなたに思い当たる節はないだろうか。
そう、あなたの与り知らない場所で、あなたも「盆栽先生」と呼ばれているかもしれないのである。
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・
・
え゛?「そういうお前はどうなんだ?」って?
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※公開:2001/11/04~
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