■ツーリングレポート セロー 宮城

 

ノープラン宮城ツーリング記

<とりまとめ>

 

 

garage Ak!rA

 

 

とりまとめてみます

(※以下の文章の一部は、別途mixiにアップしたものと重複する部分があります。あらかじめご承知おきください。)

で、あらためて大震災…というか、大津波の被害地についてなのだけれど。


 状況としては、端的に言って「恐ろしいほどの非現実感」だ。

 もちろんこれまでTV報道は見ていたし、多少なりとも惨状を理解したつもりにもなっていた。
 だが、実際はそれを凌駕して余りあるものだった。

 仙台付近では圧倒的な「何もない感」

 広大な水田にぽつぽつと転がる瓦礫と家電製品、そして自家用車。
 「水田に自家用車が転がっている」という状況は確かに異常ではあるが、想像できないこともない。だが、それが「見渡す限り」となると話は別だ。


 かつて集落があったであろう場所。今は電柱も電線も道路標識もなくまっ平らになってしまっている。残るのは住宅のコンクリートの土台のみ。

 かろうじて家屋が残るエリアを走る県道、その道端に突然船が現れる。それもボートではなく「船舶が」だ。


 それでも、仙台はかなり「片付けられた」状況だったのだと思う。
 なぜなら、奥松島付近は「流されたまま」の状態だったからだ。

 入り江の奥に山になっている船と瓦礫、土台が流されうねった線路に車が引っかかっている。
 小さな集落を流れる小川を瓦葺きの大きな屋根が塞いでいる。


 石巻ではこれが「何もかもが集められてしまった感」に変わる。

 おそろしくひらけてしまった場所にポツリポツリと立つコンクリートの建物、但しその中はがらんどうで大きく口を開けている。
 そこここにうずたかく詰まれた瓦礫。茶色く錆びていて元がなんだかわからない大きな塊。
 その間を通る道路は平たく均されてはいるが、風にあおられ真っ白なホコリが舞い上がる。


 周囲は磯の香りと重油の臭い。
 ぽつんんと立てられた「がんばろう石巻」の看板が目に鮮やかだった。

 いずれの場所でも「作業の迷惑になっては」と奥まで入らずぐるり回っただけだというのに、自衛隊・警察の方々が黙祷しているところに出くわしたのが2回。きっとご遺体が発見されたところだったのだろう。

 ここと同様の状況が茨城~岩手の数百キロに広がっているはずだと想像すると背筋が凍る思いだった。

 そしてこれらは、地震後50日も経ったあとの話なのだ。


 今回、震災地へ「ツーリングとして行った」ことについては賛否両論だと思う。「物見遊山なんじゃぁ?」と非難されても仕方ないだろう。

 だが、既に書いたとおり、俺自身に関しては行って良かったと思っている。
 TVでは景色の広がりは判らないし、周囲に漂う臭いは判らない。実際にそこで生活している人の普段の表情は判らない。

 「俺自身に関しては」と書いたのは、被災した方々から見ればどうかわからないから。

 例えば、損壊した自宅を撮影されるというのは決して気持ちの良いものではないはずだ。自分はもとより近親に被害に遭われた方がいれば尚更だろう。

 「撮影すべきではない」などと言うつもりはないし、また実際に撮影している俺が言えた義理ではない。
 だだ「人として」真摯な態度は必要なはずだと思う。

 万に一つでも「凄ぇ~」とニヤつきながらカメラを向けることなどしてはならない。
 そして実際これをやっている品川ナンバーのベンツを目撃した時は腹が立って仕方なかった。

 今回のツーレポで震災地の画像が少ないのは上記が……というより、俺自身の撮影へのモチベーションが上がらなかったという理由の方が大きい。
 なんというか「かつての生活の匂い」が感じられる景色にカメラを向けるのがためらわれて仕方なかったのだ。

★ 

 今後の復興に関して感じた事を言わせてもらうと、これは個人・団体でどうこうできるレベルの話ではない。

 多数の機器と人海戦術、そして多額の資金。
 政府が主導を取り、日本全土が協力して初めて「復興を!」と言える状態になるはずだ。

 そして別の面で言わせてもらうと、個人・個別での対応が不可欠だ。
 全て政府・行政まかせでは解決しない。何時までたっても終わらないしそもそも始まらない。
 この一見矛盾する状況をなんとかしないといけないはずなのだ。

 極論を言うと、国は細々した事は考えなくて良いと思う。

 今回の震災は国災と言える。日本の将来への展望、あるいは海外への対応に注力していて欲しい。
 総体としての方針決定と資金調達のみ行えば良いと思う。もちろん心情的なものへの対応(現地訪問等)は必要なのだけれど。

 地域レベルの「こうして欲しい」への対応は、県なり町なりの組織の方が小回りが利く。
 どこに何を送るか、作るかに関しては現地の判断が一番的確なはずだ。

 そしてもっと細かいレベルの対応にはNPOなりボランティア団体なりが必須だと思う。

 ボランティアに参加している人たちには頭が下がる。
 そしてあんな状況にも関わらず、きちんと規律を守り生活している被災者の方々にも本当に頭が下がる思いだ。


 今回現地を見て改めて思ったことに「自衛隊は凄い」がある。

 いくら資金をつぎ込んでも、重機を持ち込んでも、最終的に必要なのは「人の手」だ。
 そして瓦礫を1つ1つ避けながら被害者を探すのは機械にはできないことだ。

 そのような作業を「組織だって大規模に」行えるのは自衛隊しかない。黙々と働く自衛隊員の方々をこの目で見てその思いを強くした。
※自衛隊の本来の意義・任務とは別の話として。


 先のとおり、復興には多くの団体・人々の協力が必要だ。だから「実際の現場を大勢の人が見る・見せる」というのは非常に大切なことのように思う。
 あの状況を自分の目で見て「頑張らねば!」と思わない人はいないだろうからだ(と信じたい)

 ただ、それも復興作業の妨げになってはいけないだろう。

 本編にも書いたが、石巻市近辺では他府県ナンバーの車で渋滞し、トラックやダンプの通行の妨げになっていた。これはなんとかしないといけないと思う。
 今、地元の鉄道で(自家用車を使わない)見学ツアーを実施していると聞く。これはとても良いことではないだろうか。

 TV,ラジオ等のメディアもどんどん報道して欲しいと思う。
 特に一般の人は入れないような細かい場所をだ。
 今回の被災地は恐ろしく広い。まだまだ復興の手が入っていない(気づかれていない)ところが沢山残っているはずだ


 最後に「では今の俺に何ができるか?」を考えてみる。

 まずは一生懸命仕事をして稼いで、それなりに消費(できれば東北産のものを)しようと思う。
 決して直接的ではないが、それはきっと巡り巡って多少なりとも復興の手助けになるはずだ。
 そして機会があればボランティアに参加しようかなとも思っている。

 これらは今日明日だけではない、来月も来年も、そのずっと先のまでもの話だ。
 これから先、まだまだ長い戦いになるはずだから。


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